『Dracula』ルーシーの手紙の日付検証

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ブラム・ストーカー作『Dracula』は書簡小説であり、それぞれの書簡には日付が割り振られている。しかし、日付が書かれていない書面もある。次の4通がそれに当たる。

①「Letter, Lucy Westenra to Mina Murray.」

②「DR. SEWARD’S PHONOGRAPH DIARY, SPOKEN BY VAN HELSING」

③「Mina Harker’s Memorandum.」

④「NOTE」

そのうち②「DR. SEWARD’S…」は10月4日、③「Mina Harker’s…」は10月30日である可能性が高い。④「NOTE」については、7年後であると記載されている。

しかし、①「Letter, Lucy Westenra to Mina Murray.」の最初の1通は、日付のヒントとなるものが全くない。その代わりに「17, Chatham Street, Wednesday.」と、住所及び曜日の記載がされている。

この①の手紙が書かれた日が何日かを確認していく[なぜ?]。

参照した書籍情報

『Dracula』の4つの版

話を進める前に『Dracula』の版について記載しておく。なお、参考文献記載の『All Things Dracula』の要約となる。

英文『Dracula』には、主に次の4バージョンがある。これらの版は、それぞれ文章が違い、書簡の日付も修正されている。

①1897 ウェストミンスター Archibald Constable & Co.による出版。これが正真正銘の初版であり、イギリス版でもある。

②1912 William Rider & Sonによる出版。初版の誤字などが修正されている。

③1901 Constableより要約版の出版。ブラム・ストーカー本人が要約を行った。

④1899 ニューヨーク Doubleday(その後、Doubleday & McClureとなる)による出版。これが最初のアメリカ版である。

※なお、④Doubleday版の扉には、1899年ではなく1897が出版年として記載されている。これは当時の出版業会において、版を使いまわすことが一般的だったからである。

今回参照した版

今回参照したのは、グーテンベルク・プロジェクト(パブリックドメイン書籍をインターネットで公開するアメリカの非営利団体)にて公開されている、④のDoubleday版を底本とした『Dracula』だ。アメリカ版の著作権が先に切れたため、ペーパーバックなどでいち早く量産されたのはこちらの版となる。

本文の情報から特定

曜日から日付を調べるためには、『Dracula』の舞台となる西暦を求める必要がある。そして、そのためには、他の曜日の情報を集めなければならない。

情報一覧

□1801〜1900年である

ジョナサンが自分の行為を「It is nineteenth century up-to-date with a vengeance.」と称す場面があるため、19世紀の出来事と考えられる。また、これはメタな情報になるが、『Dracula』の出版年が1897年であることから、時代設定も19世紀末である可能性が高い(最終ページによると、出版から7年前に起こった出来事ということになっている)。ここでは、1880〜1897年に限って調べてみる。

□5月9日〜5月24日である

書簡の順序は以下のようになっている。

・5月9日「ミナからルーシー宛の手紙」

・水曜日「ルーシーによる返信」

・5月24日「ミナによる返信」

よって、ルーシーの返信は5月9日〜5月24日の間に書かれた可能性が高い。

□9月22日〜9月26日が日曜日である

・9月26日に「(前略)I had a letter from Arthur, written on Sunday,」という記載がある。ジャックの以前の日記が9月22日であり、そこでアーサーと別れたことが記載されているため、9月22日〜9月26日が日曜日である可能性が高い。

□10月31日が水曜日である

・11月2日朝に「(前略)They should have got to Veresti about noon on Wednesday.」という記載がある。ミナたちがVerestiについたのは10月31日なので、10月31日が日曜日である可能性が高い。

□9月22日が木曜日である

・9月25日に「(前略)I suppose this upset him, for when we were in town on Thursday last he had a sort of shock.」とある。街に行った記載があったのは9月22日の日記なので、9月22日が木曜日である可能性が高い。

□8月6日が土曜日である

・8月8日に「(前略)Saturday evening was as fine as was ever known.」とある。これは8月6日のことを指しているため、8月6日が土曜日である可能性が高い。

情報の検証

一覧の情報をもとに、年サーチカレンダーを使って、当てはまる西暦を調べてみる。

・9月22日~9月26日に日曜日

 22日に日曜日 1889, 95

 23日に日曜日 1883, 88, 94

 24日に日曜日 1882, 93, 99

 25日に日曜日 1881, 87, 92, 98

 26日に日曜日 1880, 86, 97

・10月31日に水曜日

 1883, 88, 94

・9月22日に木曜日

 1881, 87, 92, 98

・8月6日に土曜日

 1881, 87, 92, 98

全く年代が絞れないことが判明した。

本文以外の情報から特定

ワトソニアン的アプローチが失敗したので、ドイリスト的アプローチをする。

ブラム・ストーカーの創作ノートは現在Rosenbach Museum & Libraryに保存されているが、『Bram Stoker’s Notes for Dracula -A Facsimile Edition-』として出版もされている。(比較的安価なペーパーバック版を購入したが、痛い出費だった)。

この本に、以下の画像の記載がある。

(スプレッドシートが無い時代の苦しみが伝わる画像)

5月17日水曜日の欄に、はっきりと「Lucy’s Letter to Mina」と書かれている。ブラム・ストーカーは(少なくとも構想段階では)「5月17日水曜日」を想定していたのだ。さらには、1893年を想定していたこともわかる。

本文からのアプローチで得たすべての情報と矛盾するが、他の版と比較するのが面倒なので、この日付をもって終了とする。

最後に

5月17日が構想段階の日付となると、「17, Chatham Street」は、元々17日(17th)だったものが誤植などにより17番地となってしまったのではと疑いたくなる。他の書簡にも市町村名が書かれることは多々あるのだが、番地や通りまで書かれた書簡は他にないからだ。

(もちろん、番地名である可能性も高い。17, Chatham Streetはロンドンに実際にある、よくある地名だ)

以上、

参考文献

□Stoker, B. (1995). The Project Gutenberg eBook of Dracula, by Bram Stoker. Project Gutenberg. Retrieved April 29, 2022, from https://www.gutenberg.org/files/345/345-h/345-h.htm

□Melton, J. G. & Transylvanian Society of Dracula U.S. (n.d.). Section I. English-Language Publications. All Things Dracula: A Bibliography of Editions, Reprints, Adaptations, and Translations of Dracula. Retrieved August 27, 2022, from https://www.cesnur.org/2003/dracula/AA.htm

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