BLコミックスにおける人魚の表象

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「人魚だから好きだなんて そこまでマニアックじゃないぞ俺は」

『純潔人魚』御景椿 作

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人魚が出てくるBLコミックスをたくさん読んだので、感想です。

前提知識(適宜飛ばしてください)

人魚の歴史

まずは、『人魚の文化史』(2021)をもとに、人魚の歴史を簡単に記載する;

スクリブナーによると、男性の人魚(マーマン)は、紀元前5000年バビロニア(魚神オアンシス)や古代ギリシア(ポセイドン)などに常に存在したが、紀元前3世紀〜5世紀にかけて初期のキリスト教会が「女性性を貶める」という意図を持ってして女性の人魚(マーメイド)を中心的に利用したため、この表象が広範に信じられることとなったのだという。

1837年にはハンス・クリスチャン・アンデルセンによる『人魚姫』が発表されて女性の純潔の体現者とされ、やがてはロマン主義がマーメイドを題材として積極的に取り入れた。

20世紀には西洋文化における人魚の実在に対する信仰はほぼ消え去ったが、人々は人魚を利用し続けた。

アンデルセンのマーメイド

本記事ではアンデルセンの『人魚姫(1837)』との比較を多く行うため、次に『人魚姫』のあらすじを記載する;

人魚姫は海で溺れている王子を発見し、浜辺に連れていく(王子はその後、修道院の女性に発見&救助される)。その後「人間は魂があるため、死後に天国に行ける。人間に愛されれば、人魚でも魂を手に入れられる」と知った人魚姫は、王子に愛されるために人間の脚を手に入れるが、その際に声を失い、さらには「王子に愛されなければ海の泡となり消える」ことを忠告される。王子は人魚姫との結婚も考えるが、縁談相手の隣国の姫が、自身を助けた修道院の女性であることを知り、隣国の姫と婚約する。王子を殺せば海の泡にならずに済むと姉達に知らされた人魚姫は、しかし泡になり死すことを選ぶ。人魚姫はその後、風の精霊となる。風の精霊は人魚と違い、規定期間を勤め上げることで自力で魂を得られるのだという。

日本の人魚伝説

他、本記事では日本の人魚伝説『八百比丘尼』についても取り上げるため、以下に概要を説明する。小野地(2005)によると、八百比丘尼伝承の大筋は以下のようになる;

ある男が、見知らぬ男などに誘われて家に招待され供応を受ける。そこで男は偶然、人魚の肉が料理されているのを見てしまう。その後、ご馳走として人魚の肉が出されるが、男は食べず持ち帰るなどする。その人魚の肉を、男の娘または妻が知らずに食べてしまう。それ以来その女は不老長寿を得る。その後女は村で暮らすが、夫と死に別れ、出家して比丘尼となって村を出て全国を巡る。やがて最後は若狭にたどり着き、入定する。齢は八百歳であったといわれる。

BLコミックスにおける人魚

女性ではない人魚:障壁としてのセクシャリティ

BLコミックスの話に移る前に、まず清水玲子の『月の子(1998-)』を紹介する。

– 『月の子』は「群れの1人のみが女性化して生殖する」生態を持つ、人魚の3きょうだいにフォーカスした作品だ。主人公であるベンジャミン(一見少年のような姿をした少女)は人間のアートに恋をするが、アートが恋をするのは大人の女性であるホーリーや、ベンジャミンが成長して大人の女性となった姿である。ベンジャミンのきょうだいであるセツ(一見男性の姿をしているが未分化)の物語は、更に人魚姫的だ。セツは雄の人魚であるショナに恋するが、ショナが恋をするのは男性の姿をしたセツではなく、生殖可能であるベンジャミンだ。

『月の子』10巻目、セツとショナ。

『月の子』は狭義のBLではないが、アンデルセン『人魚姫』のクィアな語りなおしであるのは疑いようがない。――人間が人魚を選ばないのは、「女性を好いているから」であり、引いては「人魚が女性でないから」であると、この物語は読者に提示する。

『人魚姫』の物語を踏襲しつつ「王子が恋する女性」に責を置くコンテクストは、BLコミックスにもみられる。

– 『くちびるに蝶の骨〜バタフライ・ルージュ〜』の番外短編である『カリギュラの涙(2014)』は、アンデルセンの『人魚姫』の王子と人魚を男性キャラクターに翻案している。人魚の姉も「兄」に変更されているにも関わらず、王子が婚約する相手は原作通り女性のまま残されている他、王子が遊ぶ相手も女性だ。

『カリギュラの涙』において、主人公は日陰者として暮らすことになる。

– 『俺の人魚姫(2015)』は、資産家である悠馬に片思いをする少年道雄が主人公だ。道雄は正体を明かさずに悠馬と交流するが、女性と婚約した悠馬を見て「身を引く」ことを決意する。周囲に認められた婚約者と、身寄りのない道雄の対比がなされる中、悠馬は「君が女の子なら良かったのにな」と口にする。道雄の片思いは、悠馬の婚約者の女性の悪事が発覚することで収束を迎える。

『俺の人魚姫』では、道雄の性別が明らかな恋の障壁となる。

– 『ミスターマーメイド(1996)』では、人魚の昴は人間の巽紀を救助したことで恋に落ちるが、巽紀には既に付き合っている女性の露子がいる。巽紀と露子が抱き合っているのを見た昴は、海に帰っていく。

– 『純潔人魚(2007)』の人魚「さんご」は、恋する社長の美波が婚約者と話しているのを見て身を引くことを決断し、それにより海の泡になるリスクを負う。

『純潔人魚』のさんごは愛する者のために身を引く決意をする。

– 『人魚くん、お嫁に参ります(2021)』は、水に濡れると人魚に戻る「なる」と高校教師の明洋の関係を描く。コミュニケーションに物怖じせず「押しかけ女房」的な立ち位置に収まるなるだが、明洋は恋心を自覚したときも「こいつは男で…人魚だ…」と自制する。ここでは具体的な女性は現れないが、明洋が「本来付き合っていたはずの女性」という幻想が、2人の恋の邪魔をする。

『人魚くん、お嫁に参ります』のなるは、自らの想いが一方的であることに悲しむ。

– 『人魚の王子さま(2014)』は、人魚のときは女性の姿だが人間になると男性となる人魚サンゴと、その人魚に惚れられた人間マナトを描くラブコメだ。第4巻でマナトが他の女性とキスしているのを目撃したサンゴは、海に帰ることを決意する。

『人魚の王子さま』のマナトにとって、サンゴが男性の姿になるのは思わしいことではない。

– 人魚と人間の役割が上記のものと逆転した変わり種として、『深海魚があまい初恋に落ちまして。(2020)』は、魚人(チョウチンアンコウ)の光と、光と両片思いの関係にある潮太朗を描く。人間の女性と繁殖することを望む光を思い、潮太郎は身を引くが、光は最終的に潮太郎と結ばれる。

『深海魚があまい初恋に落ちまして。』の光は、人間の女性との繁殖を夢に見ている。

しかしながら、全ての作品に置いて「王子が恋する女性」が登場するわけではない。溝口(2015)は、「定型BLでは女性キャラは登場しないか、登場しても男性キャラがもともと異性愛男性として魅力的出会ったことを証明する役割を担っているなど、男性キャラの引き立て役でしかなかった」と分析しつつ「近年の作品には強い女性キャラが増加している」としている。人魚BLコミックスも、女性を「当て馬」化することなく、『人魚姫』的な悲恋(障壁)を再現しているものが少なくない。

– 『人魚姫の真珠(2019)』はメロウ(アイルランドの人魚)の末裔である少年水凪(みなぎ)を主人公として語られる。20歳までに人間と愛し合わないと泡となってしまう水凪は、公爵ウイリアムに恋をするが、同じくウイリアムに恋をした従弟のために身を引く。水凪の従弟は「推奨される恋愛相手」、水凪は「不釣合いな存在」として描かれるが、その間に性別の違いは無い。

『人魚姫の真珠』の水凪は、従弟のために想い人から身を引く決意をする。

– 韓国のBLコミックスである『Gone with the Bubbles』は、人魚の子孫である青年Eunwooが主人公だ。Eunwooは祖先より「特定の人に恋をすると身を亡ぼす」呪いがかけられている。「恋により身を亡ぼす」という人魚姫の文脈を引き継ぎつつ、理由付けをセクシャリティや他者ではなく「過去の事象」に外部委託した点に置いて、この作品は特徴的である。

– 『人魚の恋に触れたなら(2021)』は、人間に触れると火傷してしまうという生態を人魚の氷魚(ひお)に付与し、「恋により身を亡ぼす」理由付けとした。この作品では性別は問題にならず、ただ「人間」と「人魚」という生態の違いが問題視される。

『人魚の恋に触れたなら』の人魚は、人間と触れ合うことが難しい。

さて、BLにおいて、性器を挿入するキャラクターを俗に「攻め」、挿入される側を「受け」と呼称する。ここまでは人魚(もしくは、人魚的に表現されるキャラクター)が「受け」の作品ばかりを語ったが、人魚が「攻め」の作品ではどのようなハードルが描かれているのだろうか。

– 人魚が「攻め」の作品である『わがままな人魚様(2006)』、『魚の王子さん(2008)』、『人魚男子(2011)』などは、どれも『人魚姫』に描かれた悲恋とは別の物語形態をしており、当て馬も(直ぐに解ける誤解を除いて)殆ど現れない。

『魚の王子さん』の人魚。

– 『SEX PISTOLS 7(2007)』では、人魚と獅子の斑類であるヴァルネラと、志信との関係が描かれている。志信は終盤で別の男性(カナリーノ)と性交渉を行い、それはヴァルネラに知られるが、2人ともそれが「本気でない」「一度限りの間違いである」ことを直ぐに承知する。

『SEX PISTOLS』において、相手の浮気は身を引く理由にはならない。

上記4作品を読むと、「攻め」が人魚の場合は『人魚姫』とは物語形態が遠くなることが分かる。しかし、『人魚姫』的な作品も少ないながら存在する。

– 『鮫族への捧げ物(2021)』は上記4作とは異なり、よりダイレクトに『人魚姫』の影響を受けている。この作品では、鮫族のトゥキリに「メス」にされた人間アヴェルが主人公だ。トゥキリは、自分がアヴェルを「メス」にしたばかりにアヴェルが族長としての未来を失ったことに責任を感じており、アヴェルが故郷に帰りたがっているとの考えから身を引くことを検討する。(他、トゥキリがアヴェルを助けたのが別人の手柄になっているのも『人魚姫』的ではある)

『鮫族への捧げ物』で、トゥキリはアヴェルを諦めるべきか自問する。

このように『人魚姫』に基づくBLコミックスには、セクシャリティを悲恋の原因とするプロットが多く見られた。また、「受け」キャラクターが人魚である作品において、よりその傾向が強いことが分かった。しかしながら、その枠に当てはまらない作品も多くあることが分かった。

泡にならない人魚:ハッピーエンドの需要と供給

上記の項で人魚の前に立ちはだかる様々な恋の障壁について話したが、本項では彼らが最終的にどうなるかを確認していく;

– 『SEX PISTOLS 7(2007)』の7巻は、人魚と獅子との血を引くヴァルネラにフォーカスされている。肉体を持たないヴァルネラに、教育係の志信は「意識が終わる日まで誰に知られる事なく 誰にも愛されず このまま泡と消えるか?」と語りかける。多くの読者の想像通り、ヴァルネラは泡にはならず、(少なくともその巻では)志信と結ばれる。

『SEX PISTOLS』(7巻)志信の脅し。

– 『カリギュラの涙(2009)』では、人魚の千晶は恋破れて泡となるが、最後のページで全てが夢であったことが判明し、幸せな2人が描写されて終わる。

『カリギュラの涙』では全てが夢オチに回収される。

泡にならない人魚はヴァルネラや千晶だけではない。『人魚姫の真珠』『純潔人魚』『人魚(2014)』──。人魚(及び、それに喩えられるキャラクター)の多くが、泡と消えることを示唆されるが、最終的には想い人と結ばれる。また、たとえ悲恋であっても人魚が泡になることは極めて珍しい。どうしてだろうか?

西原麻里(2013; as cited in 守, 2019)によると、2000年までの女性向け男性同性愛マンガについて、恋愛を主題としたハッピーエンドの作品が占める割合が右肩上がりに上昇している。

また、Romance Writers of America(米ロマンス作家協会)では、ラブロマンスの定義に「emotionally satisfying and optimistic ending(感情的に満足できる楽観的なエンディング)」を含めており、ハッピーエンドを求める人々が国境を超えて多いことを示している。商業BLコミックスの多くもラブロマンス作品であるからには、ハッピーエンドが好まれる土壌を共有しているのかもしれない。

加えて、ディズニーの『リトルマーメイド』の影響も無視できないだろう。『リトルマーメイド』は『人魚姫』フォロワーの作品で(興行収入を基準にした場合)最も成功したものであり、その中で主人公のアリエルは海の泡とならず、王子エリックと結ばれることとなる。

つまり、これらの作品において「人魚が泡になる」というのは最後に止められる時限爆弾であり、読者は予期していた通りのハッピーエンドを手にすることができるようになっている。

なお、泡になるという題材を特徴的に扱っていたBLコミックスは次の作品だ。

『泡にもなれない恋ならば』は作中作と並行して主人公たちの恋が描かれる。

– 『泡にもなれない恋ならば(2017)』は、主人公の小林と元同僚の石原の片思い関係を描写したものだ。小林は石原と体を合わせるのだが、その際に小林の体が泡になる心理描写が挟み込まれる。作中作である人魚姫映画と並行して語られる本作は、自己犠牲とは本質的にエゴイスティックなものであると結論づけ、作品そのものが『人魚姫』に対して批評的だ。

この作品は、人魚姫は「ハッピーエンド需要」のために泡にならないのではなく、自己犠牲を美化するような物語が忌避されているだけなのかもしれない、という可能性を提示する。

声を出せない人魚:「人魚的」な人間たち

アンデルセンの人魚姫において、人魚姫は声と引き換えに脚を手に入れる。声を奪われたことで、人魚姫は恋愛において受動的な存在となる。この「声を出せない」という設定は、BLコミックスにおいては様々な形で「発話でのコミュニケーションに難がある」という設定に落とし込まれている。

– 『純潔人魚』の人魚は「嘘をつくと泡になってしまう」性質を持っており、これにより想い人に嘘をつくことができない。

『純潔人魚』は嘘をつくと泡になってしまう。

– 『月の子』において、ベンジャミンは大人の女性の姿になったときに「声を失ってしまう」。これはベンジャミンの恋を阻む大きなハードルとして描かれる。

また、人魚が登場しないBLコミックスにおいて、タイトルに人魚を含むとき、そのキャラクターは何らかしらの理由で声を出せないことがままある。逆に言うと、「声を出せない」キャラクターを、例えそれが人間であっても「人魚的」と見なす文脈が存在する。

– 『俺の人魚姫』主人公の道雄は、吃音が原因で周囲と思うようにコミュニケーションが取れず、これは想い人である悠馬との恋でも障壁となる。

『俺の人魚姫』の主人公は吃音の治療のため医者に通っている。

– 『See you later, Mermaid(2020)』は、言葉により人を操る能力を持つ青年の辰実が主人公となる。辰実は、片想い相手の一士に向かって「(自分のことを)好きになってくれ」と口走ってしまうのではと恐れるあまり、一士から逃げ出す。

『See you later, Mermaid』の辰実は、想い人に言葉を使うことを恐れるようになる。

– 『夜明けのリトルマーメイド(2021)』『マーメイドコンプレックス(2016)』はどちらも人魚が登場する物語ではないが、どちらも「人前で歌を歌えない」という悩みを持っていることが描写される。

『マーメイドコンプレックス』では人前で歌わない青年が描かれる。

日本固有の人魚:呪いとしての人魚

ここまではアンデルセンの『人魚姫』を下敷きに見てきたが、ここで『八百比丘尼』を発想元にするBLコミックスについて見ていきたい。

– 『いとこ同士(2004)』の主人公は、「人魚の鱗を飲み込んだことで水泳能力を得た漁師」の伝説が残る村を訪れ、足の悪い少年と一夜を共にする。起き抜けに人魚の鱗が残されているのを見た主人公は、「あの少年は(アンデルセンの人魚姫のように)足を痛めた人魚だったのだ」と考える。

– 『わだつみの嫁取り(2019)』では、大昔に人魚の番として人魚の身体の一部を食べさせられ不死身となった人間キヨが主人公となる。八百比丘尼についても作中で紹介され、主人公が人魚の体を食べて不死となったのは自明のこととして語られる。また、『わだつみの嫁取り』の人魚は人間の姿になると足に痛みを覚える。

『わだつみの嫁取り』ではダイレクトに八百比丘尼の物語が語られる。

– 『愛しき人魚(2021)』は、どこか江戸時代風の世界を舞台としている。妊娠中の母親が人魚の薬を接種したことにより、人魚の呪いを受けた少年にフォーカスしている。

『愛しき人魚』では、母親が人魚の肉を食べたことで体にあざができた少年が主人公となる。

これらは、どれも日本(的な世界)を舞台にし、「人魚の一部を食べる」という八百比丘尼伝承を継いでいながらも、一部でアンデルセンの人魚姫と混ざり合っていることが分かる。

足を得た人魚:人魚とベッドシーン

– 『フェロモホリック(2020)』は、「クマノミとウサギのキメラ」の兎和が主人公となっている。兎和は要所要所でウサギ的な描写をされるものの、クマノミ要素の殆どは雄性先熟に類するものとして描写され、兎和が漫画中で魚的な生態を見せることはない。これを聞いた人は「でも、フェロモホリックの兎和は人魚じゃないから」と思うだろう。しかしながら人魚BLコミックスにおいても、その多くが漫画内で魚要素を出すことは稀なのだ──ベッドシーンでは、それが更に顕著となる。

『フェロモホリック』ではクマノミとウサギのハイブリットが登場する──しかし、人魚ではない。

堀(2020)によると、商業誌作品には出版社側の意向で「1話に1回」性的なシーンが入るよう「お約束」として構成されているものもある。しかし、濡場シーンにおいて多くの人魚は人間の姿となる。近年話題作である映画『Lighthouse』や『シェイプオブウォーター』とは違い、人魚BLコミックスにおいてベッドシーンから魚要素は徹底的に排除される。それは人魚のセックスに関する知見がBLコミックス界隈で共有されていないからかもしれないし、そもそも『人魚姫』の物語形態やモチーフに興味を持つ人の中で、人魚の生態に強く関心を持つ人が少ないのかも知れない。

しかし、全てのBLコミックスにおいて人魚と人間のセックスが描かれない訳でない。

– 『わだつみの嫁取り』では人魚の性器を人間に挿入する形のセックスが描かれ、更には人魚の後頭部から触手が生えて生殖の補助を行う。この作品の人魚の造形は非常に独特であり、従来の人魚とは一線を画す。

『わだつみの嫁取り』の人魚には触手がある。

– 『鮫族への捧げ物(2021)』では鮫族のトゥキリが性器をアヴェルに挿入するシーンがある。トゥキリの下半身は鱗のない鮫の姿で描かれ、性器も2本あるが、これはセックスの障壁にはならない。(『人魚男子』で性器が2本あることが障壁として描かれていたのと対照的だ)

『鮫族への捧げ物』では人魚の状態で人間とセックスが行われる。

『人魚男子』では、性器が2本あることが父親の嫌がらせとして語られる。

– また、韓国のBLコミックス『Your Wish is My Command!(2020-)』は、主人公Chiwooが魔法少女的に変身し、襲い来るモンスターに立ち向かうストーリーだ。エピソード毎に違うモンスターと戦う(それに伴い性的なシーンが挟まれる)のだが、16話及び17話では魔法で人魚の姿に変えられ、その姿のままゲストキャラクターの人魚との性的なシーンへと持ち込まれる。

『Your Wish is My Command!(English)』の主人公は、2エピソードのみ赤い人魚となる。

このように、人魚BLにおける濡れ場は殆ど未開拓に近い状況であ

最後に

取り止めのない文章なので特に結論は無いのですが、人魚の出てくるフィクションに感じていることが明確化できて良かったです。エキゾチシズムやXenocentrismとの関係性とかも調べてみると面白そうですね。

参考文献1

・西原麻里(2013). 女性向け男性同性愛マンガの表現史. Cited in守如子(2019).「日本のBL」. Inジェームズ・ウェルカー. (2019). BLが開く扉 ―変容するアジアのセクシュアリティとジェンダー―. 青土社.

・ヴォーン・スクリブナー. (2021). [図説]人魚の文化史:神話・科学・マーメイド伝説 (川副智子. & 肱岡千泰., Trans.). 原書房.

・溝口彰子. (2015). BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす. 太田出版.

・Andersen, H. C. (2015). マッチ売りの少女/人魚姫: アンデルセン傑作集 (天沼春樹, Trans.). 新潮社.

・小野地健. (2005). 八百比丘尼伝承の死生観. 人文研究, 155.

・堀あきこ. (2020). BLとコンフリクト. In 堀あきこ. & 守如子. (2020) BLの教科書.

参考文献2(文章内で触れた漫画)

『ミスターマーメイド』(1996)水城せとな著

『月の子』 (1998)清水玲子著

『いとこ同士』 (2004)今市子著

『わがままな人魚様』 (2006)果桃なばこ著

『SEX PISTOLS』(第7巻) (2007)寿たらこ著

『純潔人魚』 (2007)御景椿著

『人魚の王子さん』 (2008)紅蓮ナオミ著

『人魚男子』 (2011)桜巳亞子著

『笑わない人魚』 (2013)今市子著

『人魚』 (2014)寒月水せい著

『人魚の王子さま』 (2014)和深ゆあな著

『カリギュラの涙』 (2014)冬乃郁也&崎谷はるひ著

『俺の人魚姫』 (2015)雪居ゆき作画 ARUKU原作

『マーメイドコンプレックス』 (2016)風緒著

『泡にもなれない恋ならば』 (2017)三月えみ著

『わだつみの嫁取り』 (2019)文善やよひ著

『人魚姫の真珠』 (2019)華藤えれな作画 北沢きょう原作

『See you later, Mermaid』 (2020)早寝電灯著

『Your Wish Is My Command!』 (2020)Sagold著

『深海魚があまい初恋に落ちまして。』 (2020)七微著

『フェロモホリック』 (2020)那木渡著

『愛しき人魚』 (2021)ひじき著

『夜明けのリトルマーメイド』 (2021)上野ポテト著

『鮫族への捧げ物』 (2021)さとみち著

『人魚の恋に触れたなら』 (2021)イズミハルカ著

『人魚くん、お嫁に参ります』 (2021)あぶく著

『Gone with the Bubbles』 Dagwa原作 HeaWon作画

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参考文献3(文章内で触れなかった作品)

『漁師はエビで、愛を釣りたい』(2022):夢内でサメ型人魚になる。

『人魚島』(2023):小説なので触れなかった。

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