『Dracula』翻訳中の覚書

LiteratureTranslation

翻訳中に悩んだことの個人的な記録です。ネタバレがたくさん含まれてます!

なお、スケジュールはこちらに記載されています。

■翻訳していて悩んだ点 ×10

□敬称

基本的な敬称の翻訳に迷った。

[例]ヴァンヘルシングがジャックやアーサーを呼んだり、ドラキュラがジョナサンを呼んだりする際に付属する「My friend 〇〇」。雰囲気的には「〇〇君」なのだが、solicitorの敬称に「My friend」があることも考慮すると処理に困る。最終的に、ドラキュラ→ジョナサンのみ「我が友」にしてある。

[例]ヴァンヘルシングやスワードを指す「Dr. 〇〇」は基本「〇〇博士」と訳した。医学博士なので間違いではないのだが、恐らく周りの人は医師の肩書としてDrを使っているのだろうから、苦し紛れ感がある。一部「〇〇先生」にした。「〇〇医師」とかも好きな訳語ではあるし、「ドクター〇〇」としても良かったのだが、上手く取り入れられなかった。

□1文の長さ

1文が長い。

[例]「It was a shock to me to turn from the wonderful smoky beauty of a sunset over London, with its lurid lights and inky shadows and all the marvellous tints that come on foul clouds even as on foul water, and to realise all the grim sternness of my own cold stone building, with its wealth of breathing misery, and my own desolate heart to endure it all.(ここまで1文)」のような文章があちこちにある。これをそのまま1文で訳すと「ロンドンに沈む夕焼けの薄明るい光と暗い影が、汚れた水に映るように汚れた雲を照らし出すことで、素晴らしいけぶるような美しさをもたらしている景色から後ろを振り返って、僕が住んでいる、惨めな者たちが大勢息づく冷たい石造りの建物の不気味ないかめしさと、それに耐えている自身の荒れ果てた心に気づくのは、衝撃的なことだった。」みたいになる。読みやすいように2文以上に分けるのだが、その切り加減に迷うことがしばしば。

[例]文の長さに応じてか、改行が非常に少ない。鉤括弧前に改行を追加したが、他は原文通りとしてある。

□古い英語

古いといっても所詮19世紀末。しかし、日常で19世紀末の文章をどれだけ読むかと言われると…。

[例]「As I sat I heard a sound in the courtyard without.」の訳文は「僕がベッドの端に座っていると、(城の)外の中庭から音が聞こえた。」となる。これはwithoutにはoutsideという意味があるから。このような、今ではあまり見かけない用法に丁寧にひっかかってしまう。

[例]「trap」→「荷物」…などの古い用法が紛れ込んでくる。

□引用

シェークスピアや聖書などの知識が胡乱なので翻訳前は心配していたが、意外にもあまり苦労しなかった。wolf版やペンギンブックス版の注釈に引用元が記載されていたからだ。しかし、取り逃しがある可能性はあり、その可能性におびえることとなった。

□イギリス英語

自分の語彙がアメリカ英語に寄っていることによるヒヤリハットがあった。取り逃しがないことを祈るばかり。

[例]「carriage」を馬車で訳した後に、イギリス英語では列車の客室を指すことを思い出したりした。

[例]「oblong」を楕円で訳したあと、何かの折に辞書を引いたら「<英>長方形<米>楕円形」と出てきたりもした。

□方言

方言の入った台詞が多く、読解が困難であった。

[例]スワレスさんの「These bans an’ wafts an’ boh-ghosts an’ barguests an’ bogles an’ all anent them is only fit to set bairns an’ dizzy women a-belderin’. They be nowt but air-blebs.」といった台詞を翻訳するのには、他の人の台詞を翻訳する何倍も時間がかかった。最終的に「呪い、お化け、亡霊、幽霊、その他もろもろは、子供や気のふれた女を怯えさせるだけのもんよ。あぶくみてえなもんさあ!」と訳した。なお、この文の解読にはWolfによる注釈版が大活躍した。

□文法

文法力がないので、常に苦戦を強いられた。

[例]「since when we can look back we see what we might have seen looking forward if we had been able to see what we might have seen!」のような練習問題めいた文がたくさん出てきて、わかりやすく訳すのが難しい。ちなみに翻訳すると「人は、それを予見するには後からわかったことを事前に知っている必要があるにもかかわらず、後から振り返ってみて初めて、あの時予見できたのにと思うものなのだ!」みたいな感じになる(と思われる)。

□知らない物を表す言葉

登場人物たちが話す単語を日本語でなんと言うか分からず、浅学を実感させられた。

[例]「an antique silver lamp, in which the flame burned without chimney or globe of any kind,」などは、ランプのchimneyやglobeを「ほや」と言うことを知らなければ手出しのしようがない。

[例]「Canvas and cordage strain and masts and yards creak. The wind is high–I can hear it in the shrouds, and the bow throws back the foam.」など、船を知らない身なので策具を調べるのに一苦労だった。AC: OriginsとOdysseyで船に乗った日々から何も学べていなかった。なお、これは「帆布と索がひずみ、帆と帆桁のきしむ音がします。風は強いです──シュラウド【訳注:帆を横側から支える、ロープでできた索具。横静索。】から聞こえる音と、船首が海泡を掻き分ける音からわかります」。

□口調

一人称や口調を採択するのは楽しいが、キャラクターの印象を劇的に左右するので悩みどころだった。

[例]ドラキュラの口調は異質感を出すか迷ったが、「英国に溶け込むことを望んでいる」「訛りはあるが完ぺきな英語」であることや、原文を読んだ時の印象を踏まえ、一人称私、標準的なですます調とした。

[例]ミナの日記はジョナサンの日記よりも読みやすいため、訳し分けで敬体にするか迷った。「ジャーナリストのように」「ジョナサンに倣って速記で」日記をつけていることを踏まえ、標準的な常体としてある。

[例]方言の翻訳に関しては、特定の日本の方言に寄せすぎない形とした。よって、それぞれの方言の訳し分けはあまりできていない。

□一貫性

固有名詞は訳語表を作った。しかし、例えばgorgeを「峡谷」と訳したか「谷」としたか、同じvalleyを別の単語で訳してないか、などは文章量の波を掻き分けつつ処理することになった。可能な限り全うな訳になるよう手を尽くしたのだが…。

■翻訳において特に助けになったもの ×1

□英語が得意な方のアドバイス

奥の手ではあるが、自力で解決できない謎は質問するしかない。『ドラキュラ』は機密文書ではないので。

■作業において欲しかったもの ×6

□ディスプレイ

「翻訳中の文章」「原文」「調べ物用ブラウザ」を並べるにはラップトップは小さかった。

□ブックスタンド

上記に加えて「iPhone」「紙辞書」「原文(紙本)」「翻訳済みの部分(印刷したもの)」「メモ用紙(訳語リストなど)」などを並べていたが、常にスペースが足りなかった。

□専用の机

床に座り、床に資料を並べ、椅子の上で作業していたため。

□追加の辞書

辞書は何冊あっても良いですからね。

□バージョン管理の方法

これが最適解ではないのだけはわかる。

□翻訳支援ソフト

というものが世の中にはあるらしいです。何らかの支援が必要だったのは確か。

■良かったこと ×2

□毎日が謎解き

翻訳って手を動かして解くパズルっぽいですよね。手を動かして解くパズル、好きです。

□ちまちました作業が多い

日付ごとに分割したり、英数字を置き換えたり、単語リストを作ったり…ちまちました作業、大好きです。

■良くなかったこと ×3

□やや出費がかさんだ

[例]関連書籍を買ったり、物書堂辞書デビューしたり、トカイワインを買ったり、ファイルを買ったり、吸血鬼派生作品を買ったり、サイトを作ったり…など。

□日常の処理能力に影響が出た。

[例]睡眠時間が取られた。睡眠やゲームの時間を削られるのが嫌で「長期間、毎日ちょっとずつ」作戦を取ったのだが…。

[例]アプリの未読バッジを放置してしまった。

[例]全てをドラキュラに例える人になってしまった。「ヴァン・ヘルシングも似たようなことを言っていた」など。

■最後に

こうして出来た翻訳文は、力及ばずもどかしい点もあったものの、依頼して読んでいただいた方々には(今のところ)好評で嬉しい限り。まだまだ先だけれど5月が楽しみ! 楽しみすぎてサイトトップにカウンターをつけました。あと50日以上…。

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