アローカラーマン(The Arrow Collar Man)とは、ARROWシリーズの付け襟を宣伝するためにJ.C.ライエンデッカーが描いた広告画に登場する男性を総称する言葉です。以下、簡単にまとめていきます。
付け襟の誕生
19世紀初め、裕福な男性は服装―特に白く清潔なリネンを通じて清潔さをアピールしようとしはじめました(Turbin, 2002)。19世紀に石鹸は庶民にも一般的となりましたが、清潔さという面で現代に優れていたとは思われません。彼らの思いはよそに、白く清潔なリネンはあっという間に汚れたことでしょう。また、洗濯は重労働でした。簡易洗濯機mangleがやっと19世紀半ばに開発され、多くの家にはまだ水も引かれていませんでした。
Turbin(1992)によると、付け襟は1827年に、トロイ(ニューヨークの地名)のビジネスマンの妻であるHannah Lord Montagueにより、襟だけしか汚れていないのにシャツ全体を洗わなければならない問題を解決するため開発されたとされています。そのまま1840年代にはトロイに付け襟の生産工場が建てられます。リネン以外にも、綿や紙、セルロイドやゴム製の付け襟が開発されました。
しかしながら1900-1910には、多くの若いアメリカ人男性はフォーマルでないソフト・カラーや襟付きのシャツを買うようになり、着心地の悪い糊の効いた襟を忌避し始めました(Turbin, 2002)。
アロウカラ―の誕生
競合の新たなソフト・カラー(柔らかな襟)に対抗するため、トロイの付け襟製造会社であるクルエット・ピーボディ社は、Arrow™という商標で リネンではなくコットンでできたセミソフト・カラーを売ることとしました。この襟を宣伝するため、クルエット・ピーボディは社内で初めての広報チャールズ・M・コノリーを雇いました。 そしてコノリー氏は、広告会社のCalkins and Holdenを通してJ.C.ライエンデッカーに広告画を依頼しました(Guadagnolo, 2020)。
Calkins and Holden社のEarnest Elmo Calkinsは、美術愛好家でもあり、広告画は一般の人々にもアートを届けるための一手段と考えていたことで有名です。そして彼の思惑通り、Arrowを代表する広告画シリーズ「アローカラーマン」は1907 ~1931年の間、雑誌やポスターを通して人々に目にされることとなりました。
Schau(1974)は、最初期の「アローカラーマン」は、J.C.ライエンデッカーのパートナーであったチャールズ・ビーチだったと考えています。 また、チャールズ・ビーチ自身も自分こそがアローカラーマンだと考えていたようです(Wallace, 1951)。ただしArrow Manのモデルとされた人物は1人だけではなく、Reed Howes(Blum, 1974)など見目のいい白人男性モデルが多数採用されていたと考えられます。
そして時代遅れに
Turbin(2002)によると、第一次世界大戦の後(1917~) 、男性の服飾は大きく変化しました。ズボンは柔らかく、ジャケットの肩パッドは無くなりました。上半身を覆うウェストコートは無くなり、取外しできるシャツの前布(Disneyアニメーション『ピーターパン』のお父さんがつけているものですね)は前時代のものとなり、シャツの前衣が見えるようになりました。クラバットは幅を狭め、ネクタイやボウタイになりました。襟は小さく、柔らかく、糊のきいてないものになりました。
そういえば、1925年発刊の『グレート・ギャツビー』でもジェイ・ギャツビーの富の象徴とされるのは襟ではなく様々なシャツです。
企業の市場シェアは一時期96%にも登りましたが(Cutlers, 2008)やがて落ち込んでいき、1931年には広告キャンペーンが終了します。1939年には『サンデー・イブニング・ポスト』に「Arrow Collar Manはどうなったの?」という広告が出されるまでになってしまいました(Greenhill, 2018)。
しかしアローカラーマンが忘れ去られることはありませんでした。
ポップカルチャー
Schau(1974)によると、アローカラーマンはハンサムでカッコイイ男性を表す一般的な表現となり、1920年代のある1ヶ月だけでアローカラーマンにたいするファンレター・贈り物・求婚・自殺を仄めかす手紙などが17000通にも登ったとのこと。
それだけ愛されたアローカラーマンなので、ポップカルチャーにもしっかりと爪痕を残しています。
文芸作品では、作家F.S.フィッツジェラルドは、作中で4回もライエンデッカーを引き合いに出しています。1922年にはE. E. Cummingsが当時有名だった商品と共に詩の中に読み上げました。
また、ブロードウェイにも何度も登場します。1923年には『Helen of Troy, New York』というアロウカラーをモデルにしたミュージカルが上演されました。また、1934年のミュージカル『Anything Goes』ではコール・ポーターが「あなたは最高、あなたはアローカラー」と歌い上げます。最近では、2017年にブロードウェイ劇『In Love with the Arrow Collar Man』の題材とされました。
ライエンデッカーの絵自体稀にオマージュされているのを見かけますが、アローカラーもいまだにファンアートとかでよく見かけますよね。
参考文献とか
・『Fashioning the American Man: The Arrow Collar Man, 1907–1931』Carole Turbin著, 2002
・『Working Women of Collar City』Carole Turbin著, 1992
・『J .C.Leyendecker』Michael Schau著, 1974
・『How to Make It as a Mainstream Magazine Illustrator; or, J. C. Leyendecker and Norman Rockwell Go to War』Jennifer A. Greenhill著, 2018
・『J.C.Leyendecker』Laurence S. Cutler & Judy Goffman Cutler & The National Museum of American Illustration著, 2008 及び 上記邦訳『アート オブ J.C.ライエンデッカー』2016
・『A pictorial history of the silent screen』Daniel Blum著, 1974
・『“A Superb Example of the Common Man”: J.C. Leyendecker and the Staging of Male Consumer Desire in American Commercial Illustration, 1907–1931.』Dan Guadagnolo著, 2020